2014年1月12日日曜日

昭和村・両原地区に伝わる「早乙女踊り」

2014年 1月 12日 (日) 晴れ


●昨日は風邪気味のため、午前に行きつけの近所の内科を受診し、内服薬・熱冷まし・トローチ等
 の薬をもらい、1日中休養日としました。


●1月9日(木)午後2時30分から昭和小学校で開催された第4回「昭和学」に参加させていただ
 きました。
 始めに杉の子会の皆さんと子供たちの団子さしつくりを調理実習室で見学しました。
 その後、昭和村両原地区に約200年前から受け継がれている伝統芸能「両原の早乙女踊り」を
 両原地区在住の羽染兵吉さんが詳しくお話されました。


●杉の子会の皆さんが揃うまで、フリートークの時間があり、昭和村の「小正月の行事」について、
 参加者の方々が話したり聞いたりしました。






●昭和村内でも「小正月」の行事は、特に冬は交通の便が悪かったため、各集落で違いがある
 様子でした。

 両原地区では1月2日朝に「山入り(やまいり)」を行い、団子さしに使用する「ミズノキ」を切った。
 13日に「団子さし」を行う。
 14日は「早乙女踊り」の日。
 17日の朝に「団子さし」の団子を焼いて食べた。団子さしの「団子」は保存食の意味もあった。

 奈良布地区では1月15日の朝、「鳥追い」の行事として、「しゃくし」と「へら」を持って、鳥を追う
 踊りを踊った。独特の掛け声があった。

 小野川地区では「上(かみ)」と「下(しも)」に分かれて、鳥追いの行事を行った。
 独特の節回しの歌があった。「雀の頭を八つに割って、俵の中に詰め込んで・・・」

 団子さしを作る過程で出る「団子のゆで汁」は「虫除けのおまじない」として、宅地の周りに撒いて
 歩いた。

 
 昭和村内でも「サイノカミ」を行う日にちが各集落で違いがある。
   1月14日の夜 → 大芦地区・喰丸地区
   1月15日の夜 → その他の集落

  
 中津川の小正月の行事は「サイノカミ」と「カセドリ」。
 半紙を網の模様状に切って飾った。→ アミノホシやテングバタと呼んでいた。
 カセドリでは、他人の家の玄関にザルを置いて隠れて見ている。家人が「餅」をザルに入れてくれ
 たら、見つからないようにザルを取ってきて、もらった餅を「かまくら」で焼いて食べた。 


●羽染兵吉氏が「両原地区の早乙女踊りの由来」のテーマで話されました。
 正月14日の夜、両原地区では集落の全住民を上げて早乙女踊りを行っている。
 昭和村内のほとんどの集落が「サイノカミ」を行うが、両原地区では「サイノカミ」を行わない代わ
 りに「早乙女踊り」を行う。
 「早乙女踊り」は五穀豊穣や家内安全を願って行うものである。
 暗く長い冬の大変な暮らしを乗り越えるための行事でもあった。
 昭和村の他の集落や他の町村には「早乙女踊り」はないが、南郷・只見には残っている。
 では、どこから両原地区に伝わってきたのか。
 早乙女踊りには決まった歌があり、歌を歌って掛け合いを行い、太鼓をたたく。
 踊り子は男性2名で、手ぬぐい・傘すげ・着物・帯・赤い前掛け・手には手甲・扇を右手に持ち
 早乙女の姿で男性が踊る。踊りの最中に「道化役」が登場する。
 昔は女性が踊ったことがあった。がしかし、その年は農作物が不作であった。
 ゆえに、それ以後は情勢は踊らず、男性が踊るようになった。
 早乙女踊りは田植えの振り付けの踊りである。
 両原地区の若い男は、昔は必ず1度は踊ったものだが、現在は若い男性がいないため、50代や
 60代の男性が早乙女に扮装し踊っている。
 両原の早乙女踊りはいつごろから始まったものか。古文書などの資料は一切残されていない。
 今から200年前の文化4年頃に若松城下で始まった踊りが、若松→南郷→只見→両原と伝わっ
 たのではないか。
 踊りが最初に伝わったのは現在の両原から半道(はんみち・約2km)東の「古屋敷」のようです。
 古屋敷はかなり長い間、人々が生活していた地域で、サイノカミの火が飛び火して集落全体が
 燃えてなくなってしまった集落です。
 住む家や食べ物も全て燃えてしまい、「原」の集落にお世話になって暮らすようになり、「古屋敷」
 と「原」の二つの集落が一つになり、「両原」の地名が誕生しました。


●古屋敷の村外れに「リョウザンフロウ寺」というお寺があり、2体の仏像と「金の鶏」の置物が
 あったと伝えられていました。
 このお寺は永享11年・1439年に建立されましたが、上記の火災で燃えてしまいました。
 このお寺の一番目の和尚「ドウチ和尚」が、この「金の鶏」を抱いて、土中に入り、即身仏(ミイラ)
 になったとの言い伝えが両原に残っていたそうです。
 今から60年くらい前に、「金の鶏」を探すべく、ここと思われる場所を発掘したところ、にわかに
 雷様が鳴り、大雨が降りだしたそうで、皆で「祟り」だと言って、以後は発掘する者がいなくなった
 そうです。


●昭和村での地名の付け方・・・〇〇〇平(なになに たいら) → 5~6反歩程度の広さの土地
                    〇〇〇原(なになに はら) → 1町歩程度の広さの土地


●できれば昭和村教育委員会で早乙女踊りの記録映像として、録音・録画し、DVD化し、後世の
 ために残してほしいと思います。


●昭和学が終わって昭和小学校の駐車場で自動車の雪を下していたとき、杉の子会の女性から
 声をかけられました。
 これから仙台へ帰るのかと聞かれ、今夜は会津若松に泊まり、明日の日中に若松の十日市を
 見て、明日の夕方に仙台に帰ると答えました。
 そのあとにこの女性は「雪が多いから、危険だから、かわみちを通りなさい」と言われました。
 お別れの挨拶をして、自動車に乗り込み、走り出しましたが、この女性の言った「かわみち」とは
 何かを考えました。
 雪が多いので、山沿いのルートよりは比較的雪が少なく、道幅の広い野尻川沿いの国道400号
 を通って行きなさいの意味と考えました。


●次回の第5回「昭和学」は2月7日(金)8時15分から
  ①昭和村に伝わる民話を聞く(杉の子会の皆さん)
  ②昭和村の冬の暮らし ~雪・仕事・食べ物・遊び~(講話:栗城ナミ子さん)
 のカリキュラムで開催されます。