2013年8月26日月曜日

奥会津大学文化祭2日目

2013年 8月 26日 (月) 快晴


●昨日25日(日)は午前は奥会津大学第1回文化祭で奥会津・柳津町の「やないづふれあい館」、
 午後は文化財シンポジウムで喜多方市の「喜多方プラザ文化センター」へ。


●奥会津大学文化祭2日目は菅家博昭氏(奥会津研究会)による「都市は“ムラ”に、村は歴史に学
 ぶ時代」をテーマに講演会が開催されました。
 先ず初めに昭和19年に撮影された昭和村佐倉のあるお宅に残された1枚の写真から。
 この写真が撮影された時代背景や写っている女性が晩年に発した「官軍が攻めてきたから助け
 てくんつえ~」の意味や背後地の「糸沢」へ女・子供・老人が逃げた生活などを考査しました。


●その後、9月7日から昭和村のからむし織の里にある「からむし工芸博物館」で開催される「会津
 野尻組の戊辰戦争」の開催に関連したお話し。
 普通の農民だった村人の戊申戦争に関連した言い伝えや大砲・鉄砲の弾の跡などを丁寧に聞き
 書きし、どこへ逃げて、どのような避難生活を行ったのかを調査。
 女性・子供・年寄りは2ヶ月程度隠れて生活していたという。

●官軍の戦死者の墓は明治9年頃に明治政府の手によって作られたが、会津藩の戦死者の墓は
 明治30年代になってようやく作ることが認められた。

●昭和村大芦に現在在住している五十嵐英盛氏の先祖が初代大芦村村長「五十嵐伊ノ重」です。
 ⇒ 五十嵐家では「政治家なんかやるものじゃない」
 ⇒ 伊ノ重は「家の財産を全て食いつぶした。形の悪い田んぼが1枚残っただけだった。家の中
    の帯戸まで売った」
 ⇒ 伊ノ重は私財を売り飛ばして、大芦村の村長として大芦村の整備を行った。

●「地域文化の掘り起し」 と 「継承」

●基層文化の掘り起し

●大芦地区の各家にある「池」 → 「からむし」の為 → 流水の必要性
 
 大芦地区の家では必ず「池」を持っている。からむしを「浸す」きれいな流水の流れる池が必要だ
 った。そのため、集落全体で「水」を管理していた。
 果たして、「からむし」の為だけで「池」が必要だったのか。 今後詳しい検証が必要です。

●近代になると「権利が保護される」とともに「権利が消滅する」時代でもある。

●時代は「共存」や「持続的利用=サスティナビリティー」。

●昭和村大芦山崎に在住の五十嵐ヨシノブ氏の言葉。「山菜採り、キノコ採り、テッポウブチ・・・。
 おらぁ、村中の山という山は、山が減るほど歩ったゎ
 ⇒ 山の産物を採れば採るほど、間違いなく山は「減って(痩せて)」行く。
 ⇒ 上記の持続的利用(サスティナビリティー)とは相反するのではないか?

●聞き書きを行う際は、話者の「生年月日」を確認すること。
 ⇒ 生まれた「年」で世間の動向などが想像できる。
 ⇒ 「聞きたい話」と「話したい話」は必ずしも一致しない。焦らずに話者が話したい話をじっくり聞
    いてから、聞きたい話をそれとなく聞き出す。
 ⇒ 「聞きたい話」は村の恥だから話せない。

●最後に奥会津大学文化祭記念上映「森聞き」を撮影した柴田昌平監督が紹介され、30年前の大
 学生時代に民映研のアチックフォーラムで菅家博昭氏と出会い、「じねんと」を貰い、昭和村の暮
 らしにとても衝撃を受けたことを話されました。
 柴田昌平監督の手には「じねんと」が綴じられたファイルが握られていました。
 菅家さんに「何もない過疎の村は、何でもできる可能性がある」と言われ衝撃を受けたこと。
 昭和村大岐の菅家さんの自宅前まで行ったが、躊躇し会わずに引き返したこと。
 30年前に菅家さんに出そうと思い、書いたが出せなかった「手紙」を持参し、監督自らが30年間
 の思いを込めて読み上げられました。
 菅家さんが柴田監督に「森聞き」を見たのが一昨年の3,11の2日前の3月9日だったこと、出演
 している高校生がメガネを丁寧に「メガネケース」へしまってから就寝したシーンが非常に印象深
 く記憶していることなど編集上の意見や感想を述べ、全てのスケジュールを終了しました。